HAKANA

土曜日は明治座でHAKANAを観劇してきました
元々興味のあった舞台でしたが半額だというのと、ベリキューで遠征するというのが重なり行くことに決めました
当日明治座に行きチケットを受け取ると14列の上手側、センターではありませんでしたが中々見やすかったなと思います
久しぶりに明治座に行ったのですがあんなに上の階だったんですねぇ、忘れていました^^;
会場に着くとしぶ☆。さんを発見、その後ロビーでだいちょさんとちかしさん、ソフィオさんにKYさんともお会いし、なりっとさんもいらしてましたね、なんだかんだで東北界隈が揃う揃うw
ロビーでしばし歓談後1ベルがなったので座席へ移動、いつものことですがやっぱり舞台はこの始まる前のなんとも言えない緊張感がたまりません
そしてついに舞台の幕があがりました・・・
感想はネタバレ必須ですので見たくない!って方は回避して下さいね^^;
率直な感想としてはなんでしょうね、人の心とはなんぞや?って事でしょうか
人が人であるには心が無ければ人ではない、というのを人間以外の出演人物によってより強調されていたように思います
『儚』はまだ生まれたばかりの真っ白な心の持ち主、どんな色にも染まりどんな色にもなる事が出来る、その『儚』を託された稀代の博打打ち『鈴次郎』その2人の物語というのが全体の流れ
儚には鈴次郎が全てだったんですよね、生まれたときからそばに居たのは鈴次郎、どんな事があっても儚にとってはかけがえのない存在、言う事もやる事も全部鈴次郎を真似る、最初の頃はまさに本物の親子の様な関係でしたね、子が親の真似をするという事、親の暖かさを知らずに育った鈴はどう接すればいいのか判らず戸惑いながらも儚に情が出来てくる
その2人の関係はいつしか親子から男女へと移り変わっていくわけであります
鈴次郎は博打で負けたことがありませんでした、それはツキの神様賽子姫に気に入られていたから、鈴には賽子姫が全てだった、しかしそこに儚が現われ鈴の心が移り変わって行く、それを面白く思わない賽子姫、神様に男も女もないのかもしれませんがこれは嫉妬心、しかもただの嫉妬心ではなくとてつもなく重くキツイものでありました、神と悪は表裏一体、いつどちらに転ぶのか判らない、そういったものを表していたんだと思います、それを人形を使い表現するのがこの舞台の見所の一つですよね、あれを人間が演じてしまうと神様という感じがしなくなるわけですよ、人形でありながら人間である、神様である、そこが大事だったんだと思います
最終的な結末は決してハッピーエンドではありませんでした、最後は悲しく寂しくもあり、でもそれ以上に鈴と儚の心が最後の最後にようやく重なった幸せ、それを感じましたね
100日間男に抱かれなければ人間になれる『儚』99日目の夜、儚は抱かれ消えてしまいます
抱いたのは鈴次郎、鈴は捕らわれた儚を救い出すために鬼と取引をしました、儚を助けて欲しいと、その為なら自分は鬼になっても構わない、鈴は初めて自分以外の人の為に自分を投げ出したのです、その取引により助け出された儚、最後に鈴と会う場面、朝日が昇れば鈴は人間から鬼に、儚は100日目を迎え鬼の創りしものから人間になります、これから続く何十年という人間の人生よりも儚は鈴を選んだ、鈴が自分の事を本当に愛していてくれていると解ったから、ようやくようやく心が繋がったから、だから儚は最後に鈴に抱かれました、鈴も儚の気持ちが儚の想いが本物で本当に愛していたからこそ儚を抱いたのでしょう、儚は水にはならず花となり消え、鈴は鬼となり人の世から消えてしまいます
人が人である理由、愛する心っていったいなんなんでしょうね? 深く考えさせられます
相手を思いやる心、相手の幸せを思う心、それなんだと思いますきっと
ツキの神様賽子姫の愛は本物の愛ではありませんでした、ただただ一方的なもの、思い通りにならないのなら壊して殺してしまえという位の強欲に満ちたものでした
そこの対比ですかね、人間とはなんぞや?人の心とはいったい・・・
観劇後それを知る事が出来るのではないでしょうか?
舞台とは伝えたい事100%を出すものではありません、70〜80%、残りをは舞台を見てくれたお客さんに考えさせたいから、考えて欲しいからです、舞台を見て心を動かして欲しいんです
少なくとも自分はそう思ってるし、現実にこの舞台では手取り足取り説明なんてしていません、でも解るし納得できるし色々と考える事が出来ました
まだまだ舞台は絶賛公演中です、是非とも足を運んで舞台を見ていただきたい!